2014年7月16日水曜日

関連行事|『福島・希望の写真展』が開催されます

集団的自衛権容認で若ものを戦場に送る安倍はヒロシマに来るな!

安倍の原発再稼働反対、8・6ヒロシマ大行動に参加しよう!



 『福島・希望の写真展』
殺処分に反対する吉沢正巳さんの『希望の牧場』の記録

 2011年3月11日から3年4ヶ月。日本政府と東京電力がグルになって福島原発事故の責任をとらず、安倍政権は「アンダーコンオロール」と大ウソをついて、オリンピック招致を決めました。収束のウソを広めるために復興が叫ばれ、楢葉町の住民は帰還を強制されようとしています。この非情な棄民政策は被災者を避難住宅から追い出し、補償を打ち切るためです。
 その上、確実に放射能による健康被害は深刻化しています。子どもの甲状腺ガンが通常の100倍以上(すでに89人!)も発症しています。安倍政権がどれだけ卑劣に「甲状腺ガンと原発事故は無関係」と沈黙を強制しようとしても、もはや住民の我慢は限界を超え、「責任を取れ!再稼働反対!」の声は日ごとに増すばかりです。
 小西のぶ子記念館では『炎の巡礼者』と呼ばれた小西のぶ子さんの「反戦・反核・反原発」の思いを継承するものとして、「あきらめられるか 忘れられるか 福島の怒りはおさまらない3・11反原発福島行動2014行動」に参加し福島の怒りを共有しました。そこで始めて畜産農家の吉沢正巳さんにお会いしました。吉沢さんの「殺処分を拒否する」という生き方に、牛とともに福島第一原発の生き証人になるという覚悟を見たのです。生涯を被曝者解放・日本帝国主義打倒に捧げた小西のぶ子さん(峠三吉の義姉)に共通するものです。ぜひ、写真展にお越しください。8・6ヒロシマ大行動関連企画として開催します。

◎日程 7月22日~7月31日(26日は休み)
◎会場 広島市まちづくり市民交流プラザ・南棟1Fロビー
    (広島市中区袋町。旧日銀裏手)
◎主催 小西のぶ子記念館


『福島・希望の写真展』開催挨拶にかえて

吉沢正巳

 福島県双葉郡浪江町、原発から直線14キロ地点の希望の牧場です。原発の爆発音を聞いてしまいました。そして原発から吹き上げるあの真っ白い噴煙だって見てしまいました。350頭の牛たち、今も生きています。見捨てられない。でもたくさんの仲間の牛飼い農家さんが牛を見捨てて逃げた。そうするしかなかった。もう本当に無念。みんなの気持ち、どうだったんだろうと考えます。僕は被曝を覚悟しながら、今も売れない牛を飼い続けております。生きた証拠として、生涯命つきるまで、この全頭の牛が命つきるまで運命をともにしたいと思います。
 この牛たちは国によって全部殺処分しろと言われてい ます。そういう圧力の中で、何人もの多くの農家さんがつぶれたか。もう二度と牛飼いなんかできやしない。自分の町に戻ることもできないだろうと思います。浪江町、あれから3年。津波で200人近い人が命を落としてしまった。そしてあれから避難の中で、300人を超える人がもう亡くなっている。仮設住宅で次から次へ、命を落とす人が、これからたくさん出るでしょう。半強制的な収容所。それが仮設住宅の実態だろう。寒い、狭い、ストレス。そういうなかで避難民は今、数べらしの扱い。つまり国による棄民の扱いを受けていると思います。
 東京電力は私たち避難民に対してまともな財物補償をなかなかやろうとしない。線引き を決め、そこに差別を設け、みんなでいがみ合いが始まる。彼らの本心はわかっている。総額を払いたくないんだ。棄民なんだ。40年間にわたり、東京、首都圏の電気を福島や青森、双葉郡が支えた、いまおれたちが捨てられるはずがない。邪魔者。牛たちの扱いも同じだろうと思います。牛たちの殺処分の指示は棄畜政策。そして僕たちにかけられている邪魔者扱いの果ては、棄民の政策。僕たちは残りの人生の問題として、この東京電力と国と、もう人生をかけて闘うしかない。なんで僕たちが、僕たちが原発事故を起こしたわけじゃないだろう。なのに僕たちが、犠牲者として捨てられる扱いを。つまり自滅の道を今たどろうとしています。
 除染。ふざけるな。できるわけないだろう。除染なんかしたって 、浪江で米づくりができるか。できないよ。僕らは未来をつぶされた。だからおれたちはこの無念、空しさ、怒りをもって、残り人生を生きていくしかない。仮設住宅で人生終わってしまうのか。あるいは立ち上がって、この原発の時代をのりこえる国民の壮大な、深い連帯、広い連帯。今がその時だ。立ち上がろう。僕らはこの世にいたい。
 決死、救命、団結。決死、救命、団結。広い連帯を作ろう。