2024年8月16日金曜日

8・6ヒロシマ大行動 総括と報告


2024年の8・6ヒロシマ大行動は日本が中国侵略戦争=核戦争に突入することを許すのかどうかをかけた歴史的決戦として闘われました。

「ウクライナ戦争は2年を超え、「ロシアを抑え、中国を打ち負かす」というアメリカの国家戦略に沿って延々と泥沼の戦争が継続しています。

イスラエルによるガザ虐殺は毎日のように繰り返されています。

世界戦争が始まり、大虐殺が毎日のように繰り広げられ、中国侵略戦争が核戦争として勃発する前夜の情勢にあって、なんとしてもこの戦争をとめなければなりません。特に、中国侵略戦争における最大の参戦国であり出撃基地であり戦場にもなろうとしているこの日本において、戦争を行う政府を打倒する闘いとして、巨大な反戦闘争を爆発させていくことが必要です。」(基調提起より)

4月日米首脳会談での「日米同盟のアップグレード」が打ち出され、7月28日の2プラス2ではそのための具体的な「詰め」が行われました。具体的には日米両軍の司令部機能の統合のための在日米軍の司令部機能の強化、さらには核戦争の準備を具体的に進めるための「拡大抑止」協議での初の閣僚級協議が行われました。同じく28日から8月7日まで岩国、九州、沖縄、琉球弧を戦域とした陸自と米海兵隊の実働演習「レゾリュートドラゴン」の実施されています。中国侵略戦争が核戦争として準備が具体的に進められ、「核抑止力論の肯定」どころではない、日本が実際に核戦争を始めようとしている中で、これを許すのかどうかが焦点となる中での8・6でした。

同時にそれは今始まっている世界戦争、ガザでの虐殺が進行する中での8・6でした。世界中の人たちが1秒でも早くガザ虐殺をとめたいと行動を開始する中で、あろうことか広島の記念式典にイスラエルを招待し、シオニスト=米エマニュエル駐日大使を招待するというのです。この許しがたい「イスラエル招待」と平和公園集会禁止=反戦反核の排除は一つの問題でした。

2月28日の暴処法弾圧=5人の逮捕・起訴、5月7日の広島市による8月6日平和公園立ち入り規制=集会禁止の打ち出し。アメリカ帝国主義とともにガザ虐殺を支え、中国侵略戦争・核戦争を準備する日本帝国主義・岸田は、何がなんでもヒロシマの反戦反核闘争を圧殺することを決断し、ついに広島市を使って平和公園での集会禁止という「むき出しの言論弾圧」を打ち出してきました。市は、一方では「規制に法的根拠はない」などといいながら、規制に従わなければ「警察と連携して対処する」と一貫して回答を繰り返してきました。8・6暴処法弾圧を背景に逮捕をちらつかせる脅しで集会圧殺を狙ってきたのです。

したがって、今回の8・6ヒロシマ大行動に参加するほとんどすべての仲間は「逮捕」という問題を真剣に考えた上での参加でした。実行委員会でも「逮捕」という問題を正面から据えて議論してきました。


安倍政権発足後の2013年、日本会議は8月6日に日本の核武装を主張する元統合幕僚長・田母神の講演会を開催。翌14年には、集団的自衛権合憲閣議決定と15年安保・戦争法制定。この過程で8・6原爆ドーム前集会に対する右翼による集会妨害攻撃はどんどん激化し、それを口実に集会の周りを機動隊が取り囲むという弾圧が始まります。そして2018年末から始まった拡声器規制の攻撃、21年「広島市平和推進基本条例(いわゆる厳粛条例)」の制定、そして22年日米首脳会談でのG7サミット広島開催の決定、昨年のG7広島サミットと「核抑止肯定」の広島ビジョン。並行して平和ノートからの「はだしのゲン」「第五福竜丸」の削除、パールハーバー公園との姉妹公園協定、市長による「教育勅語」研修が行われてきました。

まさに「10年がかり」で「ヒロシマの怒り」を解体し8・6ヒロシマ闘争をつぶす攻撃がしかけられてきたのです。こうした中、4月日米会談・共同宣言をもって中国侵略戦争に突入する中で、画然たる弾圧のエスカレーションとして8・6暴処法弾圧と平和公園集会禁止攻撃に踏み切ってきたのです。全国から抗議の声が上がる中、イスラエル代表の式典出席をあくまでも強行したこと、逆にイスラエルを招待しなかった長崎の式典にG7が出席をボイコットしたことは象徴的事態です。ガザ大虐殺のような、いやそれをも上回る侵略戦争をやろうとしているからこそ、虐殺者は招待し、反戦反核は排除するということが行われようとしたのです。


私たちは、まさに今回の集会禁止攻撃が、戦争が始まっている中での戦時下の反戦反核運動つぶしの攻撃、実際に核戦争をやろうとしている中での反戦反核運動への政治弾圧であるとはっきりさせました。

「79年間のヒロシマ・ナガサキの闘いの蓄積の全てが今問われている」

「『力の限りたたかったが、核戦争を止められなかった』ということでは許されません。目の前で準備が進む核戦争を始まる前に止めるため、今この瞬間に『力の限り』以上のたたかいが必要」(基調提起)と議論してきました。

またパレスチナ人民の決死の闘い、沖縄の体をはった闘いと連帯して今ここで闘わなければ、それは「裏切り」になってしまうと議論してきました。

そして「逮捕の脅しに一歩も引かずに闘う」「核戦争を阻止するかどうかがかかっている」「大結集の力で逮捕・弾圧を打ち返す」ことを確認して当日に臨みました。

参加者すべてが家族や職場や学園などで逮捕の可能性を議論し、なぜそこまでやるのかを議論してきました。


前夜から原爆ドーム前に座り込み、朝4時過ぎから続々と結集したすべての仲間はそうやって「腹をくくって」座り込みに参加しました。市は朝5時前から「退去要請」を繰り返し、要請に従わないと警察に「排除要請」を行い、警察も明らかに暴力的に排除するための準備を整えていました。排除のための「屈強な」機動隊の部隊を用意し、女性の機動隊員も揃えて平和公園まで「進軍」してきた機動隊員が目撃されていますが、「腹をくくった」座り込み参加者のあまりの迫力と自分たちがやろうとしていることの不正義性の前に排除など不可能と判断し、回れ右をして撤退していったそうです。


学生、青年たちを中心に座り込みをスクラムで守る

反戦運動への弾圧を絶対に許さないという強固な座り込み参加者の迫力の前に、機動隊は近寄ることさえできない




「公安条例違反(平和公園で座り込みをやることがなぜ公安条例違反か!)」や「威力業務妨害(何の業務か!)」などを警告する警察に対して徹底的に抗議


8時15分の黙祷まで平和公園内の集会を貫徹し、イスラエル・米国代表、岸田の出席を弾劾するデモを真正面から堂々と出発しました。


「原爆と戦争に対する深い怒りを込めて、今の虐殺を一刻も早く終わらせる決意を込めて」

8時15分黙祷



弾圧を狙う機動隊を押し退け、原爆ドーム前正面からデモに出発






元安橋は蛇腹で封鎖されている。「戦争式典」弾劾のデモが直撃

岸田演説の真っ最中にその最も直近で怒りのコールを叩きつける



岸田の演説は、G7広島サミットで述べたお題目を繰り返すだけ。核戦争の準備を進めながら「核なき世界」などというインチキは万人に見抜かれています。松井市長も「核抑止からの政策転換」などと言っていますが、核抑止を肯定したG7広島サミットと広島ビジョンを肯定し、サミット記念館まで建設しておいて何をか言わんやです。岸田はその日、被爆6団体との会合で怒りを叩きつけられ、翌日自民党憲法改正実現会議で「憲法9条に自衛隊明記を」と「遺言」を残し、9日長崎でも怒りを叩きつけられ、翌週自民党総裁からの辞任を表面しました。ヒロシマ・ナガサキの怒りと闘いで岸田に「とどめを刺した」と言って過言ではないと思います。


午後から県立総合体育館で開催された8・6ヒロシマ大集会では朝の集会の勝利を圧倒的に確認するものとなりました。



8・6ヒロシマ大集会 基調提起(補足提起を追加)


午後のデモでは市民が座り込み貫徹の報を聞き「よかったねよかったね」と声をかけてくる場面も。朝デモの出発地点でも被爆者と思われる男性が「よくやった、よくやった」「これが広島の心じゃ」と声を上げていたとのこと。








また、私たちの行動は全世界のメディアが報道しました。


アラブニュース 「平和式典 イスラエル招待の広島市長に対しデモ」


デモクラシーナウ


新華社通信 


ウエスト・フランス


ドイツ レイバーネット


世界戦争の開始、中国侵略戦争=核戦争の切迫という危機感、パレスチナと連帯し、沖縄の闘いとともにこの戦争をなんとなんとしても止めなければならないという決意、弾圧を恐れず、労働者市民の団結の力で絶対に阻止できるという確信、そして79年間のヒロシマの闘いの全蓄積が一つになって切り開いた勝利です。

どんな弾圧もヒロシマを黙らせることはできない。闘えば勝てる! 戦争を阻止できる! 確信も高く、さらにさらに巨大な反戦闘争を作り出していきましょう!