2021年10月13日水曜日

市長、市議会宛て申入書を提出しました!

 

広島市長      松井一實 様

広島市議会議長  佐々木壽吉 様 

総務委員会委員長 元田賢治 様

建設委員会委員長 山内正晃 様 

                            20211011

 

8・6ヒロシマ大行動実行委員会

事務局長 宮原亮

広島市中区幟町14-3-705 

082-221-7631

 

 

      「厳粛」の目的は、反戦平和の声の圧殺!

  平和推進基本条例(「厳粛条例」)の廃止を求める申入書

 

①「厳粛」の目的は、ヒロシマを愚弄する菅首相に対する批判の圧殺だった

 

 2021年8月6日、平和推進基本条例(以下:「厳粛条例」)が制定・発効して初めての原爆投下の日を迎えた。この式典では、首相の菅が、「原爆」を「原発」と読み間違えるだけでなく、核兵器廃絶の誓いの箇所を読み飛ばすという前代未聞の醜態を晒し、陳謝に追い込まれるかつてない式典だった。菅が総裁選不出馬を決めた後、9月12日の朝日歌壇に「このひとが寄り添うことなどありえぬと誰もが思った広島の朝」という歌が載った。ヒロシマを侮るこういう菅の姿勢に市長が最先頭で抗議すべきなのに、松井氏は沈黙した。そして「厳粛条例」によって、ヒロシマを愚弄するどんな発言にも頭を垂れて黙って聞けという態度を示した。絶対に許せない。改めて「厳粛条例」の廃止を求める。

 

②「厳粛条例」は、反戦平和の声を圧殺するためのもの

 この日我々があらかじめ指摘した通り、「静かな8・6を願う市民の会」は、厳粛条例を金科玉条のように振りかざして我々のドーム前集会を粉砕しようとした。また、それに呼応する右翼や在特会も4時結集を訴え、監視行動に出るとした。

 そして実際に起こったことは、ドーム前集会に対して拡声器を使ってわめき散らして集会遂行の妨害を図り、さらに体当たりによって我々の集会に乱入し集会を混乱をさせようとする行動だった。具体的には、ヘイト・スピーチや反民主主義的言辞の絶叫である。集会参加者に対し、「北朝鮮に帰れ」と民族差別と排外主義を煽り続けた。また、原爆投下を招来した天皇裕仁弾劾に対しては、天皇に反対するものは「非国民」などと罵り続けた。

 広島市の職員に対して、「8・6大行動のドーム前集会は不許可違法であり、市職員はこれをとりしまれ」と市役所で働く労働者に虚偽を宣伝し、反戦平和と菅弾劾の闘いへの敵対を組織しようとした。

 我々は市民活動推進課との最後の話し合いの場において、「厳粛条例」が必ず右翼の跳梁跋扈を引き起こす危険性について指摘した。推進課は「そういうことはあってはならない。市職員を増やして対応する」としたが、現実には、反戦反核の市民・労働者の運動への重大な威嚇が行われた。このような民主主義の破壊に対して、広島市は如何なる責任を取るのか。

 

 民主主義破壊の呼び水となった「厳粛条例」を廃止し、式典のあり方について広く話し合うべき

 

 我々は8月6日当日登場した市民を騙る右翼を「厳粛ファッシスト」と呼ぶ。平和式典の厳粛化を口実にヒロシマの心の核心ともいうべき反戦反核の叫び、戦争絶対反対の決意を直接行動で粉砕しようとするものだからだ。かつて、イタリアやドイツでファッシズムが権力を掌握し、第二次世界大戦を引き起こした。日本の天皇制国家も三国防共協定に参加しこれに与し、朝鮮・中国・アジアに今も続く被害をもたらした。その凄惨な誤った戦争の一方の帰結が広島・長崎への原爆攻撃だった。二度と繰り返してはならないとヒロシマは誓った。

 この点で重要なのは、ファッシストは選挙で勝利したのであるが、その前に様々な社会運動、とりわけ労働組合や社会主義政党、反戦団体を暴力的に襲撃・粉砕し、民主主義の実態的担い手を一掃した後に選挙で権力を握ったのである。そして、民主主義を否定し戦争体制を構築したのである。

 戦後の反戦平和の原点であるヒロシマにおいて、8月6日当日に一切の民衆の闘いを粉砕しようとする暴挙は反歴史的である。しかも国家権力に代わって市民運動の装いを凝らしたファシストがこの暴挙の名乗りを上げたことを我々は重視する。我々の反撃によって彼らの狙いは粉砕されたとはいえ、「式典の厳粛化」及び「厳粛条例」がこうした暴挙の呼び水になったことを我々は強く批判する。これらの暴挙を許すことは、日本を再び戦争へと導くものであり絶対に許さない。米・日政府が沖縄、岩国を筆頭に日本全土に中距離核ミサイル配備を狙っている今、これを阻む活動は、新たな核戦争を阻むために不可欠である。

 「厳粛条例」に「コラボする」と民間右翼に棹差した松井市長の責任は重大である。「祈りの8月6日」の実態が白日の下に晒されたいま、これを提唱した松井市長は、民主主義の破壊の一切の責任を負わなければならない。過去の態度を真摯に謝罪し、平和式典のあり方を市民に問う公開の場を開くべきである。