2019年8月4日日曜日

拡声器使用についての意見をいただきました。

 昨日メールで市民の方と以下のやり取りを行いました。
 8・6の朝デモと拡声器使用が注目を浴びていますが、この件を通して、若い世代が8・6をどういう日として迎えるべきか、74年がたつ今だからこそ掘り下げ、認識をつくっていくための議論にできればと思います。
 

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先日よりニュース等で拡声器使用の是非について拝見しておりました。
その件についてお願いがございます。
どうか拡声器の使用を自粛して頂けませんでしょうか。
私は広島市民です。8月6日はあの惨劇を悼み犠牲者の方々を悼み、また平和について考え、祈る日です。
私といたしましては静かに原爆で亡くなられた方々を想い祈りを捧げたいのです。
デモをされるのは自由だと思います。
しかし静かに追悼をしたいと思う私の願いは尊重されないものでしょうか?
どうしても拡声器を使用しなければならないのですか?8月6日という日に鳴り物で騒がしくする必要性はあるのでしょうか?
そもそも
自治体は拡声器の使用を規制しようとしていただけで、デモ行為自体は規制されておりませんよね。
1市民としてのお願いです、どうぞご検討ください。
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 メールで貴重な意見を出していただき、ありがとうございます。

「8月6日は静かに追悼したい」ということですが、私たちも原爆の犠牲者を悼み、平和について考えるのですが、考えれば考えるほど、祈っているだけでもいけないという気持ちに駆られるのです。その内容のすべてをこのメールで説明するのは大変ですが、一つ挙げるとするならば、核武装論者であり原発推進派の安倍首相を、その政治姿勢を問うことなく来賓として呼び続け、「核廃絶をめざす」などと言わせてしまっていることです。
また、「慰霊の場を政治の場にするのはどうなのか」という意見も、私たちへの反対意見としてあると思います。しかし、まさに「靖国問題」と同様、原爆犠牲者を英霊化し、国の都合のいいように政治利用しているのが安倍首相ではないでしょうか。原爆投下の責任、戦争の責任はだれも取っていないのです。
もし、私たちに「政治的中立」をいうのであれば、式典には首相も呼ばない、市長も発言しない、そこまでやって公平でしょう。でもそうはしない。
結局「原爆」や「平和」の問題は、とても政治的な問題です。原爆死は自然災害による死ではありません。だから単純に「追悼」とはいかず、「政治的にならざるを得ないの」が、8月6日の広島なのだと思っています。

その上で、〇〇さんのような意見の方は多くいらっしゃると思いますし、私たちも内輪で運動をやっていてもダメ、という気持ちもあります。
そういうこともあって、去る7月20日、私たちと異なる意見をお持ちの方にもご参加いただいて、拡声器問題と平和記念式典のあり方についての公開討論会を開きました。もし〇〇さんにそこに来ていただけたら私たちにとっても色々議論を深められただろうと思うので、大変残念です。しかし頂いたご意見は仲間うちで共有し、5-6日の行動になんらかのかたちで反映していきたいと思います。