2020年8月25日火曜日

25日、広島市・県に「黒い雨」控訴を取り下げるよう申入れ

 


(25日夕方のニュース番組で報道されました)

(8月26日付中国新聞)



広島市長 松井一實 様

 

申し入れ書

2020年8月25

被爆75周年86ヒロシマ大行動実行委員会 

事務局長 宮原亮

広島市中区幟町14-3-705

86hiroshima.daikoudo@gmail.com

 

(1)

  私たちは「黒い雨」訴訟(および原告のみなさん)に対して、広島市のとった対応をまったく認めることができません。

812日、松井市長は「黒い雨」訴訟判決(729日、広島地裁)を不服とし、広島高裁に控訴しました。その後の記者会見で松井市長は、被爆者健康手帳の認定・交付等が法定受託事務であることが控訴の理由かのように言い、「(市長としては)誠につらい気持ち」などと言い、周囲の同情を誘いました。しかしこれは、行政法や地方自治の専門知識が少ない人をけむに巻くような物の言い方です。

そもそも法定受託事務/自治事務の区別を導入した地方分権一括法では、国と地方自治体との対等な関係の構築を前提としており、法定受託事務は、自治事務に比べて国の関与が強いとはいえ、あくまでも自治体の業務です。そして地方自治法第245条の三(関与の基本原則)で、国は地方自治体の行う法定受託事務に関して、助言や是正の要求等をできることとなってはいますが、そうしなくて済むよう、トラブル回避の責任は国にあることも明記されています(地方自治法第245条の三の第2項)。よって、広島市が毅然と手帳を交付すると決めれば、国は口を挟めません。実際2009年に同様の判決が広島地裁によって下された際、市は控訴せず、原告に謝罪し手帳を交付しました。過去の事例からも、市の責任で手帳を交付できるのは明らかです。

 

結局このたびの「黒い雨」訴訟を巡る対応は、松井市長が国の意向を市の意向へと横滑りさせただけのことであり、「平和宣言」で被爆地市長として国に対し被爆者に寄り添ったような発言しようが、実際にはその使命を果たすつもりがないことを自己暴露したに過ぎません。地方自治体には国とも異なる立場—住民の暮らしと命を守る―があります。広島市は今すぐ控訴を取り下げ、国の意向ではなく裁判所の決定に従ってください。原告全員に被爆者健康手帳を交付し、原爆による放射能環境下での生活を余儀なくされたすべての住民(内部被曝者)の手帳交付に向け、認定作業を始めるよう強く申し入れます。

 

(2)

 原告団の闘いが切り開き、広島地裁民事第2部(高島・久保田・塚本裁判官)が下した「黒い雨」訴訟判決の画期性について、広島市は当然にも十分理解していると思うが、簡単に述べておきたいと思います。

 この度の判決は、原告84人全員に「被爆者健康手帳を交付せよ」と明快に述べているのですが、肝心なのは、雨域での線引きを行っておらず、一切の線量論を排したことにあります。判決では、政府が1976年に援護法の認定区域とした地域の56倍の範囲で「黒い雨」が降ったとする原告側の提出した証明を採用しました、その上で雨域の地区にいた住民を自動的に被爆者と認定するとはせず、雨域外にいたとしても「原爆の影響と関連性が想定される障害を伴う疾患に罹患したという結果発生が認められれば被爆者援護法13号に該当する」と判断したのです。

 これはつまり広島での被爆には、初期放射線被爆(=外部被曝)と非初期放射線被爆(=内部被曝)の大きく分けて二つの種類があり、後者について、司法が初めて真正面からその存在を認めたということを示しています(当然ながら原告84人がいたのは原爆の初期放射線がまったく到達しない地域です)。

 従来の政府の被爆者認定基準は、原爆爆発から1分以内に到達したと推定される初期放射線でもって、その人の臓器がどれだけの線量被曝したかを評価するものでした。そしてその基準は、20113月の福島第一原発事故後、放射線の人体に与える影響を評価する国際基準として使われてきました(DS86・ICRP)。恐ろしいことに福島では今もなお「内部被曝の危険性は無視してよいほど小さい」と断言され、事故直後から一部地域を除いては住民の移住・避難を推奨しない(現在はその一部地域でさえ帰還を奨励する)根拠にされているのです。広島や長崎で、内部被曝切り捨てと表裏一体で確立された非科学的な「被曝モデル」が、あたかも科学的であるかように施され(世界的には「ヒロシマ・ナガサキの知見」とまで権威付けされ)、実際には「黒い雨」の被爆者同様に、切り捨てられるヒバクシャをたくさん生み出してきたのです。

 

 しかし被爆から75年の今年、「黒い雨」訴訟原告団はついに巨大な虚構を暴き、裁判所も従来の非科学的な被爆者認定基準の根本的見直しを求めました。広島市はこの地平を一歩も踏みにじってはなりません。

国(厚生労働省)はこの判決を認めない代わりに、降雨地域の拡大については検討するというふざけた態度をとってきています。広島市はそれに便乗して、主体的判断を回避してはなりません。またもや、雨域での線引きやでたらめな線量評価によって、住民を被爆者と非被爆者に分断する愚策に追従してはなりません。国の被曝隠し、原爆投下=戦争責任の回避に、絶対に加担してはなりません。長崎にも、同様の闘い(被爆者健康手帳の交付を求めている「原爆体験者」訴訟)があります。広島市は長崎、福島をはじめ世界のヒバクシャとともに、核廃絶に向け世界をリードするよう、強く求めます。

 

以上

2020年8月14日金曜日

被爆75周年8・6ヒロシマ大行動(8月6日)

 〇改憲戦争すすめる安倍首相を許すな! 8・6早朝デモ


 被爆75年目の8月6日の朝、新型コロナウイルス危機の中でも約350人が原爆ドーム前に結集。被爆者、2世、3世をはじめ、全国の労働者・学生・市民が、「8・6ヒロシマを祈りだけの日にさせない」「核廃絶を世界に呼びかけ、行動しよう」と、資本・国家権力の手先である右翼の妨害をものともせず、ドーム前集会を打ち抜きました。8時15分の黙とうの後、安倍首相―松井広島市長の改憲と戦争政治にNo!をたたきつけるためデモ行進へ。


 沿道の多くの広島市民から、今までにない声援をもらい、大きく高揚しました。






〇改憲阻止・安倍政権打倒へ!8・6ヒロシマ大集会&大行進

 昼の8.6ヒロシマ大集会は、権力・右翼の妨害を打ち破って安倍首相の式典出席を弾劾した

高揚感に包まれて行われました。前半にふくしま共同診療所院長・布施幸彦さんから連帯アピールがあり、参加者全員で福島圧殺を許さない決意を固めました。後半で旧陸軍被服支廠保存運動について石丸紀興さん、「黒い雨」訴訟について大瀧慈さんが発言したことは、8.6ヒロシマ大行動の陣形拡大を実感できるものとなりました。


 集会後は会場から原爆資料館前までのデモに出発しました。街頭で手を振ってくれる人た
ちが例年より多かったです。コロナ禍に負けずに8.5~6ヒロシマを闘い抜いた力で、改憲阻止・安倍政権打倒に向けて進んでいきましょう。










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ヒロシマ・アピール’20 


 いま、世界は変わろうとしています。韓国で、フランスで、香港で、イタリアで、アメリカ全土で、民衆の決起が続いています。差別と分断と搾取をのりこえ、すべての人間が人間らしく生きられる社会を作りたいと願うひとびとの声が、世界にあふれ出しているのです。

 

 アメリカのトランプ大統領は、小型の「使える核」を実戦配備し、核実験の再開を検討しています。7月16日には、75年前のトリニティ実験場での世界初の核実験を「素晴らしい偉業」と称賛しました。破産寸前の資本主義社会をリセットするための新たな核戦争が現実味を帯びているいま、核兵器禁止条約を求める民衆の声はこれまでになく高まっていますが、アメリカも日本も条約に背を向け続けています。


 トリニティから3週間後の1945年8月6日、広島のひとびとは一発の原子爆弾の熱線と爆風と放射能によって無差別に惨殺されました。生き残ったひとびとも、子や孫の代まで続く健康不安を背負わされ、激しい差別にさらされました。

 第二次世界大戦が終わり、資本主義社会は新たな支配体制を必要としました。原爆の被害を隠し、「原子力の平和利用=原発」で核保有を正当化し、IAEAやNPTといったいまに至る核支配体制を作り、この75年間、核実験、核兵器、原発によってあらたな被曝者を生み出し続けてきました。


 しかしそういった支配体制に日本の労働者民衆が黙って呑み込まれてきたわけではありません。朝鮮戦争が始まると、広島の被爆者たちは在日朝鮮人たちとともに、核兵器使用阻止を訴えてゲリラ集会を決行しました。ビキニ事件を契機に原水禁運動が高まり、被団協が結成されました。声をあげ、立ち上がった被爆者と労働者民衆が日本の反戦反核運動を作ってきたのです。

 「黒い雨」訴訟もそのひとつです。7月29日、広島地裁は原告84人全員を被爆者として認定し、黒い雨による内部被曝の存在を認めるという判決を出しました。国の都合による補償の線引きで分断された被害者たちがたたかい続けてきたことは、いま福島で起きているたたかいと力強くつながっていくはずです。


 だからこそ支配者たちは、8月6日の広島で民衆の怒りの声があがるのを封じ込めようとしてきました。

 改憲にしがみつく安倍政権は、松井市長と右翼議員らに共謀させて、式典から反核の声を排除しようとデモ規制を画策し、それがかなわないとわかると、今度はコロナを理由に今年の式典は「慰霊に目的を絞る」と言い始めました。一般市民を締め出し、被爆者や遺族たちの出席さえ制限する一方で、核武装をもくろむ安倍首相や汚職議員らを平然と招待していることには、全世界があきれ返るでしょう。

 戦争と核兵器と原発の責任を問う被爆地ヒロシマの声を「慰霊」でねじ伏せてきた式典のありかたは、核支配体制を裏打ちしてきました。戦争と核のない未来を求める労働者民衆は、そんな式典のありかたをゆるすわけにいかないのです。


 「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」- そう刻まれた広島の原爆慰霊碑の前に立ち、むごたらしく殺された数十万人の民衆の声に耳をかたむけるならば、ひとは核廃絶を誓わずにいられないはずです。核戦争の準備をする者をそこに立たせ、うわっつらの慰霊をしようとすることに怒りをおぼえるのが、当たり前の人間の姿ではありませんか。

 核廃絶の誓いを果たすため行動する労働者民衆の手で、平和記念式典を核廃絶の道しるべにしていきましょう! 新たな核戦争と憲法改悪をとめよう! 核廃絶の声をもっと大きく! 広島から声をあげましょう! 



2020年8月6日

原爆ドーム前集会参加者一同





被爆75周年8.6ヒロシマ大行動(8月5日)

〇8.5分科会

1、被爆体験者のお話を聞く会

 8月5日の分科会として、被爆者の堀江壮さんのお話をうかがいました。被爆当時の様子から、それから75年間、被爆者である堀江さんと家族の生き様を話して頂き、だからこそ、世界の被曝の問題を課題として引き受けられている姿に、参加者からの共感と感動の感想がよせられています。

2、被爆伝承者のお話を聞く会

 続いて、被爆伝承者の山村法恵さんから、被爆者・松原美代子さんの被爆体験のお話を、松原さんの描かれた絵を見ながら、話して頂きました。松原さんは2年前に亡くなられていますが、その体験や思いを若い人々へ伝えていきたいという気持ちがとても強く伝わりました。

3、軍都広島の戦跡めぐり

 さらに、大型バスを貸し切って、学生・若者で「軍都広島の戦跡めぐり」を敢行。広島城址にある日清戦争の際の大本営跡地や、存廃問題に揺れる被爆建物・被服支廠、国鉄宇品線跡などなど、被爆以前は軍都であった広島の「加害の歴史」について学ぶ、フィールドワークを行いました。参加者からは驚きとともに、反戦反核を訴えることの意味を深く考える良い機会になった、という感想が多数寄せられました。


〇8.5フォーラム「8・6ヒロシマと改憲問題」を開催

 8月5日、東区民文化センター・ホールにおいて、フォーラム「8・6ヒロシマと改憲問題」が開かれました。まず最初に、86実行事務局長・宮原亮さんが「実行委員会のこの1年間の取り組みの報告」を行いました。昨年10月22日から「拡声器規制条に反対する有志」が集まり松井市長を追い込んだこと。今年4月以降はコロナを口実とした平和記念式典の変質と闘い、阻止してきたことが報告されました。

「実行委員会のこの1年間の取り組みの報告」

←クリックすると開きます(pdfファイル 45MB)

続いて、広島大学学生自治会の森田寛隆さんが、「8・6ヒロシマの歴史」について、戦後被爆者としての「生きる闘い」と、労働者としての「生きる闘い」が一体のものとして進んだと提起されました。

「8・6ヒロシマの歴史」←クリックすると開きます(pdfファイル 47MB)

3人のパネラーからの提起として、小学校教員の平野綾子さん、広島市職員の福井利明さん、安芸太田町議会議員の大江厚子さんが報告。参加者から「とても良かった。明日の朝デモに向け、やる気が湧いた集会だった」「8・6ヒロシマ大行動実行委員会のみなさんが、この1年、大衆的に闘いを進めてきたことがよくわりました」などの感想が寄せられ、大成功でした。