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過去の大行動の記録

2021年3月31日水曜日

3月30日、市民活動推進課との話し合いを実施しました。

  3月30日、広島市(市民活動推進課)との話し合いを行い、今年の8・6デモの実施方針(拡声機を式典の方向に向けない)を表明しました。去年は安倍首相の発言時だけ拡声機を式典方向に向け、一時85dbを超過しました。今年はデモ中は一切式典方向に拡声機を向けないことにしたので、上回ることはないと思います(これに関しては7月ごろに市民活動推進課と一緒に拡声機を用いた実験を行い、確認することになります)。

 その上で、8・6当日、憲法に保障された「表現の自由」を侵害する恐れのある、市職員によるデモへの監視や85dbを越えたの際の「警告」をしないよう求めました。 しかし、この日は、市の実施方針については回答しませんでしたので、次回の話し合いで、市から正式に回答をいただくことにしました。

 次回は5月の連休前後を予定しています。


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広島市長 松井一實 様

 

今年の8.6デモの実施方法について

2021330

 86ヒロシマ大行動実行委員会事務局長 宮原亮

広島市中区幟町143705

℡&fax 0822217631

86hiroshima.daikoudogmail.com


私たちは今年の8.6デモを、拡声器を会場方向に向けない状態で実施します。

 

以下、今年の8.6デモを実施しようと考える理由について述べます。

8.6デモの意義はますます深まっています

 私たち8.6ヒロシマ大行動は、なぜ8.6の平和式典に合わせて拡声器を使って会場に届くくらいの音量でデモをおこなっているか。それは、単に騒ぎたいからという理由ではもちろんありません。その理由は、式典に8.6ヒロシマに共通の理念である「反戦・平和」にふさわしくない、核武装をも視野に入れた日本の再武装化を進めている安倍首相をはじめとする議員が、平気な顔をして出席しているからです。その事実に「反戦・平和」の立場から反対するため、声をあげています。8.6は過去の惨禍による死者を追悼するというだけでなく、決して未来に同じようなことを起こさないため、改めて私たちが決心するための日でもあるはずです。「過ちは繰り返しませんから」という一文が石碑に刻まれているということ、戦後、被爆者が世界の核拡散の状況に対しても決然と反対の声をあげてきたこと、そうした運動が綿々と連なって昨今の核兵器禁止条約につながっているということを、私たちは非常に重く受け止めています。こうした思いを継承するためにも、それに逆行するかのような人たちが平然と平和式典に座っているということを許せないのです。目の前にあるこうした「不正」に異議申し立てもできないまま、よりにもよって8.6という原爆が投下された日に彼らを批判することもできないまま、どうして世界に対して反戦反核を訴えられるというのでしょうか。どうして核保有国に対して核を放棄することを訴えられるというのでしょうか。

〇民衆の闘いがつくった「核なき世界を求めるヒロシマ」

 それにそもそも振り返ってみれば、8.6の歴史自体、被爆者の反戦・反核の戦いをはじめとする民衆の闘いによってつくりあげられてきたものでした。当時のGHQのプレス・コードや、それに迎合するかのような原爆を「平和の閃光」だと賛美する行政の振る舞いに対して怒り、8.6に「騒乱」行為を行なったことにこそ、今にも理念として残る「反戦・平和」の出発点があるというのは、動かしがたい事実です。

 そして、こうした構図は決して過去だけのものでないと思います。昨今成立した核兵器禁止条約一つをとってみても、それを推進してきたのは被爆者を先頭にする各国の核禁止をのぞむ人々の声でした。「平和の閃光」を讃える姿勢から「反戦・平和」を祈念する広島になった経緯が民衆の行動から始まったように、今でも平和を真に推進しているのは、核拡散の状況とそれを推進しようとする国家の態度とを看過せず、それに反対の声をあげてきた民衆の行動にほかなりません。「反戦・反核」に反する核拡散や被曝を許さない運動あってこそ、今日の8.6があると考えています。また、民衆主導でこそ8.6が意義あるものになるというのは、いまの8.6の在り方や核兵器禁止条約の成立過程にとどまるものではありません。昨今、75年前の「黒い雨」での内部被曝について、決してその被曝の影響を軽くみてはならないことを立証した科学的知見を重視した広島地裁判決についても同じことが言えます。この画期的な判決の礎になったのは、時として周囲の悪意ある中傷を受けながらも、長年自身の受けた被害を訴え、闘い続けてきた被爆者あってこそのはずです。他方、こうした被爆者の粘り強い闘いの姿勢の一方で、広島市が、主体的に被爆者に寄り添う態度を保留した挙句、国の控訴に追従したことを残念に思います。表面上は「国の検討委員会に協力し、『黒い雨』降雨範囲を拡大する」と言っていますが、同時に「地裁判決は十分な科学的知見に基づかない」という、曖昧な態度をとっています。広島市のこうした姿勢は大変遺憾です。

 〇「空疎な平和」ではなく、「豊かな、真の平和」を求める声の拡大

私たちは、昨今の平和推進条例に対しても同じ思いでいます。この平和推進条例に関して、そこで言われている「被爆者」にはヒロシマ・ナガサキのみならず全世界の被曝者のことが考慮に入れられていないこと、平和推進条例が定める「平和」の定義が狭いことなどが、市民や有識者からすでに指摘されています。こうした市民の平和を追求しようとする声にまともに取り合わず、生返事をする一方で、「市民の平和活動への協力を呼びかける」と宣言する「平和推進条例」が言う「平和活動」とは一体なんのことを指すのでしょうか。特に、この平和推進条例の制定にあたって「厳粛に」式典を行うというところにあえて固執する市の姿勢とも合わせて考えれば、大いに市の姿勢に対して疑問を抱きます。思い返せば、拡声器規制条例の制定が目指された一昨年から市は一貫して8.6の日の音量問題は「内容ではなく音の問題」である、と主張してきました。しかし、平和の内容について考えない8.6、民衆が「反戦・反核」の思いを貫くためにあげる声を「音がうるさいから」と抑制する8.6とは、一体何を目指しているのでしょうか。

しかし、8.6の広島をめぐって市がこうした消極的、それどころか抑制的な態度に終始する一方で、すでに全世界では核兵器の禁止を求めて大きな運動が巻き起こっています。それだけでなく、被曝一般を問題視する声も国内外を問わず上がっています。

 〇私たちは私たちの規律で8.6デモを完遂する

私たち8.6ヒロシマ大行動は、目の前にある「反戦・反核」に逆行するかのような不正の芽を看過することなく、それに対して声をあげ続ける決意を新たにします。そして、8.6が民衆主導によっておこなわれてきた歴史を再確認し、8.6の日には、自分たちの規律をもってデモを完遂することを宣誓します。市に対しては、音の大きさを問題視するばかりで、内容について全く議論の姿勢を示さないことを強く批判すると同時に、私たちが騒乱それ自体を目的とする団体ではないこと、したがって私たちの運動は私たち自身で規律を保つことができるのであり、特別の監督を必要としないことをお伝えします。

以上