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過去の大行動の記録

2021年2月8日月曜日

「広島市平和の推進に関する条例」(仮称)制定について申入れ

  私たちは、2月8日、広島市議会が今年度中に制定しようとしている「平和の推進に関する条例」(仮称)について、申し入れを行いました。政策立案検討委員会議の若林市議、および議会事務局・市政調査課の職員ら3名と約1時間話し合うことができました。

 平和条例化については、実行委員の中にもさまざまな意見がありましたが、当実行委員会としての質問内容は2点に絞って【第5条(市民の役割)と、第6条(平和記念日)第2項】あとは市議会HPで呼びかけられている個人での意見表明の機会を使って、自由に述べてもらうことにしました。

 関心のある方、まだ応募していていない方は、ぜひ市議会に対する意見の表明をお願いします。

広島市議会HP/意見募集サイト



(2月10日 上…朝日新聞、下…中国新聞)
 新聞でも、疑問や批判的な意見が取り上げられ、市民の関心が高まっています。

以下は、当実行委員会が提出した申入書です。


広島市議会政策立案検討会議 代表 若林 新三 様

 

「広島市平和の推進に関する条例(仮称)」制定についての申入れ

 

2021年2月8日 

8・6ヒロシマ大行動実行委員会 事務局長 宮原亮

広島市中区幟町143705

電話・fax 082221-7631

メール 86hiroshima.daikoudo@gmail.com

 

 日頃の議会活動に敬意を表します。

 私たちは、被爆地ヒロシマで長年市民活動に携わってきた立場から、貴検討会議の【条例制定の趣旨】には概ね賛成です。しかし、同条例素案について疑問点もあります。本日の話し合いでその疑問(懸念)が解消するものであれば良いのですが、もし解消しない場合には貴検討委員会での今後の討議を要請したいので、書面にて申し入れます。


1、(市民の役割)「第5条 市民は、本市の平和の推進に関する施策に協力するとともに、平和の推進に関する活動を主体的に行うよう努めるものとする」について。

 「市民は、本市の平和の推進に関する施策に協力するとともに」とありますが、「協力するとともに」という一文を入れた理由は何でしょうか? 市民が広島市の進める施策に反対したり、広島市の進めるものとは異なる平和活動をしたりすることを、貴検討委員会は想定されていないのでしょうか? 

 戦後史を振り返ると、市民の主体的な取り組みが広島市の平和行政を変えてきた事例は、枚挙にいとまがありません。

 平和記念式典は1952年から現在の場所・形式で行われるようになったのですが、54年の第五福竜丸被曝をきかっけに広がった原水爆禁止国民運動、その後55年原水禁運動発足、56年被団協結成など、全国的な市民運動の高揚を受けて形を変えてきました。市長の平和宣言で「原水爆の保有と実験を理由づける力による平和がおろかなまぼろし」という一文が入り、平和記念式典で市長から明確に「反核」が訴えられたのは、実に57年のことでした。

 また、広島市長として核実験の抗議電報を送った最初の人は、19679月の山田節男市長であり、以後今日まで続いています。同様に初めて核実験への慰霊碑前抗議座り込みに参加したのも山田氏なのですが、いずれも原水禁・被団協を中心に市民の取り組みが先行し、粘り強く続けられてきたのは周知の事実です。その他、「平和研究」「平和教育」等の分野においてもしかりです。要するに広島市の平和行政は、市民活動の築き上げた地平を後追いする形で整備され、前進してきたと言えるでしょう。よって、広島市の平和行政の発展に市民の自主的な平和活動への参加が大前提であり必須不可欠である、という点に異存はないのですが、それは「市の行う施策に協力するものばかりではなかったことによって、隆盛した」という点が肝要かと思います。

 本条例素案は、そうした市民活動の相対的独自の領域を保障するものであるのか、質問します。

 

2、(平和記念日)「第6条2項 本市は、平和記念日に、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする」について。

 「厳粛の中で」という言葉をあえて入れる理由をお聞かせください。これまでの歴史を振り返ったとき、平和記念式典が厳かさに欠けていた(=不真面目に行われた)歴史はないと思います。

 そこで頭に思い浮かぶのが、当実行委員会に対し、平和記念式典の「静ひつな環境での実施」を求めている松井・広島市長のことです。

 当実行委員会は、「核の脅威や戦争が続く限り、被爆者の願い、ヒロシマの心は達成されたとは言えない」との考えのもと、8月6日をただただ「慰霊の日」「祈りの日」とすることに長年反対し、「核と戦争をなくすための行動の日でもある」としてきました。そして、平和記念式典に日本の首相を招くのであれば、核や戦争・憲法の問題に対し被爆地からの意見・要望をしっかり述べるべきであり、曖昧にすべきではないとして、デモ行進をしてきました。

 それは、「黒い雨」被爆者のたたかいが示すように、被爆から75年経ってもヒロシマの問題は何ら解決していないからです。被爆者への補償の問題も、核廃絶の問題も、世界恒久平和の実現の問題も、課題の方が山積していると言ってもいい。こうした現実に蓋をして、課題を「平定」し、ヒロシマを「過去のこと」であるかのようにして作られる「平和」は虚構だと考えます。「no justice! no peace!」(正義なくして、平和なし)――これは人種差別撤廃を求めるBLM運動の中で言われた言葉ですが、そっくりそのままヒロシマにも言えることだと思います。

 2018年末から、突如として私たちが長年行ってきた86日のデモ行進が、広島市との間で焦点となってきました。それには、こうした考え方が背景にあることをまず申し述べておきます。

その上で、私たちは決して拡声器の音量にこだわっているのではありません。市も「市民活動に対する思想・表現の自由を規制してはいけない」との認識のもと、話し合いでの解決を望んでいます。市との協議は継続しており、今年の86日は、昨年以上の努力を行う所存であることをすでに広島市に伝えております。市が3回行った市民アンケートの回答を見ても、条例規制を求める割合は減っており(69%→22%)民意は示されています。

 つきましては、「厳粛の中で」という言葉を使って、憲法で保障された「基本的人権の尊重」に例外を作ろうという政治的思惑=拡声器規制条例の布石とすることのないよう、強く求めます。

 

以上